チェッコ・オーストリアスペイン
ハンガリー
ハイライト 9日間
 

2009/10/04から2009/10/12

拡大できるようにと思いましたが
画像が膨大でサムネルだけにしました
雰囲気を味わって頂ければ幸いです

パリ経由でチェッコのプラハに入ります

行程地図

パリにて乗り換え
プラハ

チェコの歴史は「古いが14世紀に王家が
途絶えドイツ系のルクセンブルグ家が王位に就き
特にカレル4世は芸術、文学、教育に理解を示し
1348年にカレル大学を設立、1357年には
カレル橋を造るなど現在の骨格を築いた。
その後ハプスブルグ家の支配を300年間受け
1993年に現在のチェコとなった

Prague Dipkomat Hotel の早朝の姿、
どんよりして如何にも暗い

Hotelの前、通勤で人の往来は結構多い

プラハ城見学の開始、王宮のある岡の上へ

聖ヴィート大聖堂が見える

王宮の入り口、しっかりと警護兵監視している

王宮の前の広場、ここでオバマ大統領の
核兵器削減の演説が行われた

チェコ大統領の官邸

宮殿より見た町の風景、赤い屋根が綺麗

別な角度の家並

聖堂も見える家並

広場にはクラッシクの演奏家も出ている

広場より町へ続く小道と家並 

警護兵の交代式、一時間毎に交代行われる 

王宮の入り口

聖ヴイ−ト大聖堂

王宮の門を入り、聖ヴイ−ト大聖堂の見学となる。
歴代のボヘミア王の墓所となっているゴシック建築の
傑作。当初は926年にロマネスク様式で建てられたが
1344年に改築着工1929年に完成し、内部の
ステンドグラスより差し込む光に満ちた見事な教会
である。

ステンドグラス

聖ヴイ−ト大聖堂の内陣

ステンドグラス

ステンドグラス

ステンドグラスの拡大

聖ヴイ−ト大聖堂の内陣

木彫りのキリスト

王のための礼拝場所

2トンの銀で造られた棺

ステンドグラス

ステンドグラス

ステンドグラス

大聖堂

大聖堂の街中から見えるところに黄金のモザイクがある

何か良くわからないが???
プラハ

カレル橋、エステート劇場

      ヴルタヴァ川に架かるプラハ最古の橋、
1357年カレル4世の命により着工し約60年の
歳月をかけて完成した。
      橋の欄干には30体のバロック様式の聖人像は
17世紀に加えられたものです

カレル橋

昔は錬金術が盛んだったとか、
それで名前が黄金の小道
 

いろいろなすかしの紋章が飾られている

同士とは壁の色が異なるようにしてある。
お土産やさんがところ狭しとあり小物が面白い
プラハ

カレル橋

橋のから対岸と遊覧船

対岸の歴史ある建物

観光客が行きかう橋の上
 
カレル橋は歩行者専用で多くの出店が出ている
中でも似顔絵屋さんが多い

 
聖ヴアーツラフ像(何でもカレル王のお妃が懺悔をよく
されたとか、王がその内容を聞いてもしゃべらず、
この橋より突き落とされ処刑され後に聖人になったとか
 
像の下の部分二箇所をなぜると願いが叶う


この場所より落とされた

対岸より王宮

旧市街地も古い建物が多い

旧市街にある市庁舎広場の天文時計
上が時計で下が一年を表している
 

エステート劇場 
団体行動はここまででこれからは自由行動です
我々は自由市場を見てミュシャ美術館へ行き作品鑑賞を
することにしました
 

マーケット広場 自由市場

マーケット広場 自由市場
果物、桃やプラム 桃は硬くってそれほど美味しくない

マーケット広場 自由市場

マーケット広場 自由市場

ミュシャ美術館

ミュシャ美術館

帰りは地下鉄でホテルまで、最終駅だったので
間違えることなく帰れました
Cesky Krumlov
(チェスキークルムロフ)


13世紀に創設されてその後の増改築により
様々な時代が見事に調和した古都です
プラハから約170km 2時間50分のバス移動

共産時代は荒れるに荒れていたが政治体制
変更後は内部は復元され立派なものとなっています。
しかしながら、内部にはいろいろな貴重品が多く
展示されているためセキュリテイの関係で撮影禁止でした。

お城を出てくるまではうす曇でしたが
出てみるとからりと晴れていました。中欧は一年
の半分は曇りだそうですが我々には
ツキがあるようです


先ずは待ちの説明を聞いています。スペインのトレドに
似たたたずまいです

外からのお城

お城の城壁から見える町の家並

青空が町の色を鮮やかにしています

旧市街からのお城

旧市街地

町の教会

旧市街からの教会の塔

レストラン 如何にも美味しいものが出てきそう

旧市街から王宮

崖の上の王宮 空とのコントラストが美しい

町には王宮の鳥瞰図が沢山表示されている

旧市街からの王宮と市内教会着

王宮

Salzburg
(ザルツブルグ)


モーツアルトの生家、ミラベル庭園、
ゲトライデ・ガッセ、レジデンツ広場

ザルツブルグとは「塩の城」という意味でこの町は塩によって
栄えた。東には風光明媚な湖水ザルツカンマーグート
(塩の御料地)があり紀元前2500年ごろ先住民により
採掘されていた。紀元前800年ごろザルツブルグにおいて
採掘が始まりケルト人の集落が出来た。採掘された塩は
ローマを含みヨーロッパ各地に出荷された。

     
 7世紀末にルベルトという一人の司教がバイエルン公国から
土地を譲り受け聖ペーター修道院を建設し
これが現在の町の礎となった。大司教座がおかれたのは
798年のことで強大な権力を持つ大司教は一国の
王にもおとらぬ権力と」富がありローマ法王庁とも結びつきが
強くイタリア建築家よって壮大なドームや宮殿が造られ、
今見る「北のローマ」とも呼ばれる町並みが姿を現した。
1803年にナポレオンにより占領されオーストリアに
併合された。19世紀末からは音楽の都として世界に
その名を伝えている。
 また、1965年にミュージカル映画
「サウンドオブミュージックが公開され美しい町並みと
アルプスの自然と音楽とが一体となり世界の人たちを
ザルツブルグに来させている

ミラベル庭園

ホーエンザルツブルグ城塞

ミラベル庭園 階段のところがサウンドオブミュージック
で使われたところ
 

モーツアルトが成人後住まいした住居

ドプッラー効果で有名なドプッラーさんの住まい

カラヤンさんの住まい、銅像がある

ザルツアッハ川

ザルツアッハ川対岸

旧市庁舎

旧市庁舎前の広場市場

旧市庁舎前の広場 有名なチョコレート屋さん

モーツアルト広場 銅像がある

ドーム広場

大聖堂

ザルツブルグ大学の校舎

岩塩のお店、壁は岩塩であり成分により色が異なる

モーツアルトの生家

モーツアルトの生家 3階の入り口

モーツアルトの生家 台所 非常に質素

 モーツアルトの生家の隣にあるカッフェ 美味しそう

 大聖堂
 

Salzkammergut
(ザルツカンマーグート)


ヴォルフガンダ湖のザンクト・ギルゲンにて昼食、
ハルシュタット湖でクルージング

ザルツブルグから一時間位離れた古くから岩塩を
採掘しているザルツカンマーグート(塩の御料地)
13世紀末オーストリアの支配者となった
ハプスブルグ家が白い黄金(岩塩)が採れる
この一帯を宮廷が管理したことから
こう呼ばれている。
また、平均標高が600m程度と温泉が
あることから王侯貴族の避暑地、
保養地としても栄えた。


 ヴォルフガンダ湖に着き湖畔を散歩

 途中の家々はドイツ系の方が多いのでその雰囲気
一杯です

昼食はこの館で頂きます。Postと言うレストラン

町中のお土産屋さん

モーツアルトのお母さん、お姉さんの住まい今は記念館

別荘か民家か? すばらしい湖畔

ECOには皆さん熱心、太陽光発電パネルを
設置している民家が多い 200W x 8枚


車窓より綺麗な景色を楽しみながら約1時間
で一番奥まったハルシュタット湖に到着です
お天気も益々晴れ渡り絶好の観光日和と
なりました。

バスの停車場から船着場まで移動

町のプロテスタント系の教会の塔が家々の
隙間から見えている

船着場付近の」家々

空がどこまでも透き通っている



丘の中腹に」あるカソリック教会
船の時間に余裕があったので
面白いものがあるとのガイドさんの
アドバイスで後で教会に行くことにした


丘の上の教会ではお墓の場所がないため(この地方では
土葬)15年間」の」所有しか出来ないそうで、期限が来ると
墓を掘り返して骨を取り出すそうです
取り出された頭蓋骨には、生きて居られたときを象徴する
ような意味のある絵を描きこの場所に納骨されるようです。
すべての頭蓋骨は綺麗磨かれて飾られています。
日本では考えずらいのですが肉体というより精神的な
ところに主体があるからでしょうか? 
このお堂に入ったときは多くの外人さんと一緒でしたが、
二人きりになるとさすが気持ち悪くすぐに外に出ました。
頭蓋骨より下に積み上げられた大腿骨が不気味です。

丘の教会から湖と教会の塔

湖の向こう岸に電車の駅があり連絡線が通っている

先ほどの連絡線が行った駅に列車が来た

湖のほとりの民家と教会 本当に絵になる景色

湖に面した民家には船の格納庫がある 
日本の石川県にも??

教会と民家

石灰岩の山々、この中に岩塩がある 昔は海

完全に凪状態 逆さの山々が湖面に映り美しい風景

これがこの町のパンフレットになっているアングル
ですが生憎の逆光

逆光の町、夕日がガスに映えてむしろ幻想的な
雰囲気になった

槍ヶ岳のような山もある

本日の予定はすべて終了しヴォルフガンダ湖の近くの丘に
立つHOTEL JAGDHOFに宿をとることになり
もと来た道を約一時間掛けて戻ります。

クラッシクカーが飾られている

クラッシクカーが飾られている ポルシェ

クラッシクカーが飾られている
Wien(ウィーン)

・ご存知の通りウィーンはハプスブルグ家の640年に
のぼる支配の下、カール5世の時代には、ブリュッセル、
マドリッドを結ぶ巨大なトライアングルの中心実質上の帝都と
定められた。
17世紀からは中欧文化の集積地として
東西南北ヨーロッパ運ばれてくる文物がこの町を
大きく育っていった。音楽やワルツ、食に建築、多大な富と
異文化、優れた人材が流入し融合・洗練され、ゲルマン、
スラブ、ラテン、マジャール、ユダヤのどれでもあって
どれでもないウィーン独自の国際性豊かで
ユニークな文化を育んでいった。

下には湖、向かいの山から日の出です

ホテルの概観 今立っているところはゴルフコースです

Stadt Park ブルックナーの銅像


Stadt Park 黄金のヨハンシュトラウス像


Stadt Park クアサロン
晩餐とコンサートの予定

ハプスブルグ家の夏の離宮、
シェーンブルン宮殿


宮殿の正面 

正面を取り巻く建物

宮殿内を案内してくれる馬車もある

クアサロンで夕食 今回の参加者全員です

クアサロンで夕食 今回の参加者全員です

モーツアルトコンサート

当日は超満員でした。クアサロンは500名程度は
入れるホールが3階に各一つ毎ありこれがすべて
埋まる状態でした。写真は演奏中はだめですが
それ以外はOKです。

演奏曲は休憩を挟んで約10曲でモーツアルトは
EINE KLAINE NIGHT MUSICの1曲のみ
でしたがよく知られた短い曲を中でした。
アンコールは新年コンサートでも有名な
ラディスキー行進曲で会場中手拍子で一杯に
なりました。新年コンサートの気分を少し味わえた
心持です

コンサート 演奏が始まると写真は撮れない

Donakanyar
(ドナウベント-ドナウの曲がり角)


ドナウベントとは「ドナウの曲がり角」という意味です。
オーストリアからスロバキアのブラチスロバを経て西から
東へ流れていたドナウ川はブダペストの北部のドナウベントで
南へと流れを一変しハンガリー国内を下って種々の
国々を経由の後黒海に注ぎ込む。

ドナウ川クルーズ船 ハンガリーからドイツまで3泊4日で
行くようです

ウィーンからハンガリー国境の売店

ウィーンからハンガリーまで、途中に風力発電が
非常に多く設置されている 多くは500kwクラス、中には
1000kwも設置されていた

境から更に南下してエステルゴムに
ハンガリーカソリックの総本山の大聖堂を見学

エステルゴム大聖堂 

エステルゴム大聖堂 マリア像

エステルゴム大聖堂よりのドナウ川 
向こうはスロベニア

大司教の館

エステルゴム大聖堂の内陣 大理石で作られ豪華です

エステルゴム大聖堂 パイプオルガン

リストのレリーフ

エステルゴム大聖堂の見学を終えて、
山の上にあるレストランで昼食をとる

音楽団のおじさん 10ユーロあげたら日本の音楽まで
演奏してくれました。我々のテーブルでは偉く長く
演奏して頂けました

り、ピカ音楽団のおじさん

 ドナウ川の向こうはスロバキアでここは国境の町です

池のような物は共産圏時代にドナウの流れを利用した
水力発電所を建設しようとした後とのことです
 
中世の面影を残す石畳のセンテンドレを散策する
 
街中の教会の塔

 街中のお土産屋さん 藍染の店

街中のお土産屋さん 藍染の店 

レクサスハリアーハイブリッド

 街中の古い教会 フレスコ壁画

古い町屋にあったアマチュア無線アンテナ?? 
 
ユダヤ教会とカソリック教会

古い建物 教会だそうである 

古い建物 教会だそうである 

恋人同士が絵を描いていた。妻が見に行くと
彼氏は屋根の瓦を、彼女は彼を描いていた
 

街中のカフェ
 

石畳の路地 

Budapest
(ドナウナイトクルーズ)


「ドナウの真珠」と呼ばれるハンガリーの首都ブダペスト
。ドナウの西岸ブダと東岸ペストが橋で結ばれた美しい街は
ハンガリーにマジャル人が定住した896年に街の
基盤が造られた。1000年にイシュトヴァーン一世により
ハンガリー王国が誕生したとき首都となったのは先に
訪れたエステルゴムであった。13世紀半ばモンゴル軍の
襲来を機にブダの丘に王宮が移され14世紀末に
正式に首都となった。15世紀に黄金時時代を迎えたが
トルコ軍の侵略を受け1541年にブダが陥落し以来街は
1686年までトルコの支配下に入る。同時にハンガリー家の
王冠もハプスブルグ家の手に移った。18世紀において
マリア・テレジアの統治下にブダに再び王宮が築かれ
商業地ペストも活気を取り戻した。
1867年にはオーストリア・ハンガリー二十帝国が成立、
1872年にはブダ、オーブダ、ペストを統合し新首都ブダペストが誕生し大きく発展を遂げた。
しかし、第一次世界大戦、続く第二次世界大戦の
ドイツ軍とソ連軍の戦いで街は荒廃した。
1946年以降社会主義体制の下で再建されたが
1956年のハンガリー動乱では多くの市民が亡命した。
1989年、東欧諸国の自由化の追い風を受け
自由主義国家への道を歩み続けている。

30人乗り程度の小さなクルーズ船に乗り込み先ずは
腹ごしらえからです.。テーブルに並んだディナー

いろいろあるので迷います

取り揃えたディナー

取り揃えたディナー

ライトアップされた王宮

くさり橋

王宮
 
コンサート劇場 ライトアップの色が変化

自由橋、ゲッレールト温泉l、丘の上の女神像 
 
ゲッレールト温泉
 
王宮

自由橋、ゲッレールト温泉 

 
自由橋の下を通過
 
国会議事堂
 
国会議事堂

 
 
Budapest
(ブダペスト)


「ドナウの真珠」と呼ばれるハンガリーの首都ブダペスト。
ドナウの西岸ブダと東岸ペストが橋で結ばれた美しい街は
ハンガリーにマジャル人が定住した896年に街の
基盤が造られた。
1000年にイシュトヴァーン一世によりハンガリー王国が
誕生したとき首都となったのは先に訪れたエステルゴムで
あった。13世紀半ばモンゴル軍の襲来を機にブダの丘に
王宮が移され14世紀末に正式に首都となった。
15世紀に黄金時時代を迎えたがトルコ軍の侵略を受け
1541年にブダが陥落し以来街は1686年までトルコの
支配下に入る。同時にハンガリー家の王冠も
ハプスブルグ家の手に移った。18世紀において
マリア・テレジアの統治下にブダに再び王宮が
築かれ商業地ペストも活気を取り戻した。
1867年にはオーストリア・ハンガリー二十帝国が
成立、1872年にはブダ、オーブダ、ペストを統合し
新首都ブダペストが誕生し大きく発展を遂げた。

      しかし、第一次世界大戦、続く第二次世界大戦の
ドイツ軍とソ連軍の戦いで街は荒廃した。
1946年以降社会主義体制の下で再建されたが1956年の
ハンガリー動乱では多くの市民が亡命した。
1989年、東欧諸国の自由化の追い風を受け
自由主義国家への道を歩み続けている。
 
さて、強行軍で進めてきた中欧のたびも本日が最終日です。
今まで中欧らしからぬ暖かい天気でしたが年間の半分が
曇っていると言う中欧の本来の天気になり生憎の条件と
なりましたが多いに楽しみたいと思います。
半日の観光と自由行動です。

朝早いので如何にも暗い感じがする町並み-車窓から 
 
ホテルマリオットの裏の路地にあるお店

ドナウ川-車窓より 
 
対岸の王宮-車窓より
 
くさり橋および対岸の王宮-車窓より

くさり橋正面-車窓より 
 
王宮のマーチャーシュ教会

王宮よりの対岸の????? 

音楽ホール、今はレストラン 
 
ベートベンのレリーフ 
良くこの音楽堂で演奏会をやった
 
王宮の門

写真 
 
古い城壁の跡
 
王宮 ほとんどが対戦で爆撃に会い破壊されたが
復旧させた

 王宮よりのくさり橋
 
エカテリーナの娘エリザベートはこよなくハンガリーを
愛した。その名に因んだレストランもある
 
ペスト大流行の慰霊碑

 漁夫の砦

 マーチャーシュ教会の内陣
 
ステンドガラス

マーチャーシュ教会の祭壇 
 
漁夫の砦
 
マーチャーシュ教会の屋根 瓦が面白い

写真 
 
漁夫の砦よりの街並み
 
漁夫の砦よりの街並み

ゲッレールトの丘からくさり橋 

聖イシュトヴァーン大聖堂
 
聖イシュトヴァーン大聖堂内陣 コーラスの練習をしている

聖イシュトヴァーン大聖堂内陣 
 
聖イシュトヴァーン大聖堂内陣

聖イシュトヴァーン大聖堂内陣 ステンドグラス 

英雄広場 
 
西洋美術館 
 休憩を兼ねて近くの御土産やさんに入る
プロポリスが非常に安く、ハンガリーは養蜂の
国でもある。蜂蜜を使ったお土産も多い

ここから英雄広場に移動し最後の昼食となる
昼食も終わり、これからは自由行動となります。
我々は先ず街中に戻り、店の閉まらないうちに
目的のものを探索することにしました。

先ずは、ヴァーツイ通りのHERENDの店へ直行します
 
街中を散策、くさり橋と花壇
 
トラムの走る街中

 ホテルの近所のカジュアルな店
物価は非常に安い、綿のセーターが650円で
私のお土産となった
 


明日はブダペストからパリを経由して帰国します。




   

Back